レポートを見てみましたが、いつきてもおかしくないという最後の信号の1つ手前の赤▲にきわめて近付いている状況のようで、現状ではもう1週間様子を見てみるということでした。
詳しくは下記サイトでご確認ください。
生かせいのち地震と防災
今のところ震源は遠いという見方ですね。
その場合、和歌山~四国あたりの津波の影響が凄いことに…。
外房で4~6mということは、鎌倉はもう少し低いかな。
地形が複雑なところは波高がせり上がりますので、発表されているままだと信じるのは危険です。
何度も繰り返し言ってしまいますが、私の従兄は6mの津波と言われているところに12mの津波が押し寄せてきて、彼の家は全壊してしまいました。
あたり一帯で形だけでも家が残ったのは、従兄の家のみ
あとは木造が多かったのか、ご近所は土台だけが残されておりました
沼地のようになってしまった七ヶ浜、手前奥の山際に塞き止められた瓦礫が積み重なっておりました。
私が不思議に思うのは、宮城の沿岸に住む人達の震災直後の映像で、あれだけの地震がやってきた後だというのに、なぜ沿岸近くの道路を車で走っている人が大勢いたのかということです。
逃げる途中というのはもちろん理解出来ますが、まだ仕事を続けようとしていた人がいたのです。
従兄の子供もそうでした。
津波が来る40分あまり、仕事先の現場から離れていなかったのです。
そして津波に飲まれてしまい、幸い助かったのです。
町内放送で3~4mとあったので、まさかここまでは…という思いがあったのだろうと。
ですので、過去の地震の分析でしか予測の情報は得られませんが、それが正しい情報とは限らない。
どんなスーパー・コンピューターを使おうと、自然界にある全てを計算し尽くすことは出来ないのですから。
昔の言い伝えが残っていて、それをしっかり守っている地域がたくさんあります。
母の実家がある島も、誰もが見える見渡しの良い場所の岩肌に、津波はここまできたという白い線が書かれていて、子供の頃に従姉からチリ津波の説明を受けたことがあります。
電信柱を軽く越えているその高さと、近くにある家の夫婦が危機一髪で助かった話など、繰り返し聞かされておりました。
しかし311のあと、会社から徒歩で帰っている最中は、震源が東北沖だと言うのに、津波のことがさっぱり頭にありませんでした。
なかなか繋がらない携帯、取り合えず無事だというメールを家族やツインソウルにも送り、あとは黙々と歩いていたのです。
これが東海地震だったら…私が以前から心配していた地震だったら、浜岡原発により全てがアウトだったなと、その気持ちが勝っていたように思います。
福一の被害も尋常ではありませんが、浜岡の規模と並べますと恐ろしいことに…どれだけの人が知ってるのか。
後ほど、それについてUPしましょう。