地域貨幣のシステムは、人の善意が構成要因として必須です。
例えば、貨幣の単位をdayonとかにしたとして、
100dayonでジュースが飲める。
このジュースは誰かの畑で取れた桃のジュース。
これは組合を通して売りさばいたあと、自分の家で食べるものを除き更に余ったものを提供する。
同じようにして、余った野菜なども提供。
500dayonで何が出来るか...
地域に500dayon SHOPがあり、ここでは自分が売りたいものを提供できるシステムになっていて、売り買いできる。
収穫時に一時的に必要な労働力はdayonで支払うことが可能。
そこで5日間働き、近所のお婆さんの病院の付き添いと送り迎えをして合計15000dayonの収入。
などなど、お互いがdayon通貨によってまかなわれるというものです。
このシステム作りは、きっとたくさんの意見で繰り返し修正し、地域の独自性が反映されたものが結果として残っていくのでしょう。
お金という概念がただdayonに取って代わったという認識では、きっとうまくいきません。
支払う側から傲慢な態度で扱われたら、みんなやる気を失うでしょうし、提供する側の誠意と受ける側の感謝がベースにあってこそ、需要と供給がうまく成り立つと思うのです。
とどのつまりお金を手にすると、もっと儲けようという欲が出て、拡大主義に走っていくのです。
そのもっともっと…という人間の欲望でバランスを崩しているのが今の社会です。
どんなに大きな会社の社長さんでも、呆けてしまったらみんな同じですよ。
ギンギンギラギラ夕日が沈む...
お歌を唄って車椅子に座り、人にお世話してもらう" ただの人 "になるのですから。
しかし、話は変わりますが、どこを間違えると原発利権に走るのか、私にはさっぱり理解出来ません。
儲けたって、その人は良くてあと20年かそこいらでこの世からいなくなるわけでしょう?
そのお金で何がしたいのですかね。
今よりも大きな御殿?
豪勢な世界旅行?
それとも、人より手厚い介護(笑)?