肉体生活がある日突然終了してしまうのは、本人にとってもまわりの人にとっても強烈なショック、残念で悲しいことですが、その人の魂の一連の流れに一区切りが出来て、新しい動きが始まったということでもあります。
新しい誕生の機会でもありますので、不幸に向かって突進していったわけではありません。
私だったら、
卒業オメデトウ!
と、むしろ祝って欲しいくらいです。
自然な流れとして捉えて欲しいし、派手なお別れも必要ないです。
儀式は好きではないので、
また会おうね、バイバイ(^^)/!
って、普通に会って別れるようにサヨナラしたい。
三次元側からは見えない存在になってしまうかもしれないけれど、こちらからは見えますから、いつまでも身近な人達に泣かれていたら辛くなってしまうでしょう。
しかし、将来的に肉体を捨てる人が増えると分かってはいたものの、特にこの日本においては天災が増えて…ということは想像しておりましたけど、まさか放射能の影響による突然死という選択肢があったとは…。
想像しておりませんでした。
2000年を過ぎた頃、東海地震が迫っていると話題になり、もしも浜岡原発に事故があったらどうなるか…。
半径1000kmは居住不可能、日本国民は原発難民になってしまうと知り、それは大変だと思ってデモに参加したりしていたけれど、あの時でも原発難民をリアルに想像出来ていたかと言うと、全然出来ていなかったと思います。
ただ、地元民が原発産業に癒着していて、選挙にもそれが反映していき非常にショックだったです。
ああ~、これはダメだ、東海地震が来たらもうアウトだなって。
そのアウトの意味が、人ひとりの生活を支えるっていうことではなく、未来永劫っていう意味が何故分からないのだろうと、体からすーっと力が抜けていく無力感を味わいました。
怒りの次にやってくるのは、抵抗と拒否、そのあとに絶望、そして自分が何も感じないよう、じっと沈黙の中に沈んでいく。
この時、母に浜岡原発のことや政治的な問題を述べると、
あんたは共産主義か?
恐ろしい考えを持っている、
私はそんなことより、自分の頭の上のハエを追い払っていればいい。
この問題について一緒に話し合うのではなく、それ以前のところでこう言われ、政治のあり方に疑問を持つこと自体が「共産主義=危険思想」の持ち主のように非難されたのでした。
まったくもって話にもならない。
こういう考えの大人が自分の親とは…。
自分のことさえ上手くいっていれば、あとは関係なし。
それで世の中が上手く回るわけはないということが、何故分からないのだろう?
精神的なダメージ&親にもキツく非難されたのが10年以上前のこと。
それから自分の仕事に集中しました。
自分を忙しくし忘れる。
未来に重点を置くのではなく、現在にフォーカスしまくりました。