前述の繋がりで最近思ったこと。
福一の爆発後に都内の土壌の放射能を測ったら、都心部も強制移住レベルの数値が軒並み出ていたというのをご存じでしたか?
当時それを見てギョッとなりました。
これじゃうかつに窓を開け放てないと、かなり注意していたんだわ。
空間線量が次第に落ちてきたので、慣れもあり安心モードというか、諦めモードに浸り、あの超絶数値のことはすっかり忘れてました。
ところが、最近またtwitterで当時のデータを見掛けました。
じわじわと影響が出てくるのも当然だわ。
311のとき千葉で爆発があったのも、劣化ウランが700kg云々ではなく、実は20トンあったとか。
湾岸に飛び散ったなら、それも酷い話。
と言うか、ウランでしょ?
近くにあったイオン本社がわざわざ引っ越したんでしょ?!
黒い粉が福島から鎌倉に飛んできたと考えるより、千葉からと考える方が自然じゃない?
素人だってそれくらい判断つきますわ。
あの頃、3月15日あたりから品川駅は避難する人で大混雑していたそうです。
子供にマスクをさせ、その上にビニール袋ですっぽり顔を覆っているという、異常な光景があったとか。
確かにそれくらいして当然のプルームが降り注いでいたのですから、事の重大さを知っている人は遠くに逃げたのでしょう。
その様子を取材した記者が映像を流そうとしたら、上司から許可が降りなかったそうです。
「その場には他局もいて、複数の記者が取材していたけれど、どこも流していなく、他局も許可されなかったようだ。いま何が起きているのか、記者として正しい情報を流せず、本当に悔しい思いをした。」
という内容が書かれた記事をどこかで読みました。
外国人はみな急いで出国したんですよね。
同僚の話ですが、彼女の友人の仕事先で一緒に働いている外国人がいて、大使館から直接連絡がきたそうです。
大事な自分のパソコンも化粧道具もほっぽらかして、一目散で逃げ帰ったと聞きました。
あの時は停電騒ぎで公共の交通機関があちこちで止まり、いつもより多く外気に触れることになってしまった、徒歩を使って歩く人が大勢いたのです。
私もその一人でした。
前にも書きましたが、会社では東北に発送され届いていない荷物をどう追っていくのか…宅配業者から荷物が津波で流されてしまったとか、電話が通じないとか、いつ電車が止まるか分からないなか、余震は繰り返し起きるし、
もう家に帰りたい!
ってみんな内心は思っていたのだと思います。
現場は大混乱でしたので、放射能のことは二の次というか、正直そこまで考える余裕が無かった。
いま思えばバカ真面目に、みんな自分のやるべき仕事を全うしようとしていたのです。
そう、話しは変わりますが、昨日見たのかな…。
低量被曝のデータで興味深いものがありました。
一回だけ100bqの食品を摂った場合と10bqずつ毎日摂りつづけた場合、どっちが影響があるかという実験で、だいたい600日を境に逆転していきました。
100bqを一回だけ摂取ですと、時間の経過と共に数値が下がり、600日あたりで限りなくゼロに近付きます。
10bqずつ毎日摂取の方はずっと上昇し続け、600日あたりで1400bqくらいになる。
そのまま数値が下がることはないので、1400bqくらいが体内に残り続けるという結果でした。
ちょっとくらいなら良いだろう、これくらいは仕方ないと思うかもしれませんが、低量被曝でも体内にはしっかりと蓄積され続けるということです。
気にし過ぎと言われようが、放射脳と言われようが、自分の体を守ることを怠ってはいけないのだと、これを見て再確認したのでした。