日付が変わってしまいましたが、あの大地震から三年目。
各テレビ局も特集を組んでいて、見ているとあの頃が蘇ってきます。
自然と涙があふれ出てきて、言葉になりません。
被災した方たちがどのような状況を堪え続けていたか、 私もたった1日ですが、まだ殺伐としてボランティアも受け付けていない七ヶ浜の避難所に泊まりましたので、どれだけ辛かっただろうかと…。
そしてそれが何ヵ月も続いていたのですから、本当にみなさんじっと堪えられた、大変だったね…などと簡単には口に出来ないほど苦しみを味わったのだと思います。
それにつけても、悲惨なのは福島です。
何も変わらないどころか、まったく先が見えません。
そして実際に被災していない私達も、これからが放射能の影響が現れてくる時期に突入します。
いろいろと思うことは多々ありますが、ひとつひとつ話す気力は失せてきました。
あとは天に任せて悔いなく生きることです。
原発の被害状況を見てみますと、やはり横浜あたりでも放射能の影響とみられる症状や突然死が増えているように思います。
これから子供を産もうと思っている女性や小さいお子さんは、出来るだけ西に異動した方が良いでしょう。
ウクライナやベラルーシなどのその後を少しでも調べれば、いま自分がどうしたらいいか、自ずと答えは出ると思います。
未来について、自分の足枷を外したおかげで、ここしばらく時間を有効に使うことが出来まして、何処を向いて生きるべきかだんだん固まってきました。
集中すべきところに集中出きるようになってきた感じです。
将来的に住みたい理想の環境作りのイメージはあるのですが、より具体的にするには…というところでしばらく思考停止状態になってしまったのですが、少しずつ意識の広がりを感じているので、もっと具体的な資料として完成したら、そのうちみなさんにも公表出来るようになるかもしれません。
同じような希望を持つ人が大勢いることは、実際に直接話してみて実感するのですが、みんな話だけ、その場だけで終わりそうなニュアンスです。
誰かがやってくれたら私も乗るわ…というような他力本願と言いましょうか、私に唾付けとく…っていう感じかな(笑)。
こういう計画、希望はあっても、みんな資金でつまずいてしまうんですよね。
でも、そこで止まってしまったら何も始まらないわけで、エイヤ!って乗り越えなきゃならないのでしょう。
道は開ける!と信じます。