人間の恐れはありとあらゆるところに潜んでいて、特に見えない存在に左右されること…これは心の呼応が関係しております。
憑き物に影響を受けるのは、それなりの理由があります。
何処にいようが何処に行こうが大丈夫と思えない。
そもそも自分の力を否定するような内面が自分の中に存在するということに着目せず、外からの力に支配されてしまうと思っていれば、それはその通りの現実を自分で引き寄せてしまいます。
またそのような体験をすることも、自分とは何か…を知るための一歩に繋がりますので、そうした現象が起きることを全否定は出来ないのです。
危機を事前に回避する、これは守護の力が強ければ実際にそうなります。
勘が鋭ければ、自分で気付くことも出来ます。
しかし、病気や事故はそれなりに意味があり、そこから何かを学ぼうとしなければただの災難になるだけです。
どうしてその現象は起きたのか、またそのような人生を"自分が選択した"のか…。
この"自分が"という、全て自分主体に考えるのは西洋の影響ですが、見方の相違だけで、憑き物とか祟りとか何でも良いですけれど、何かの影響と考えても間違いではないと思います。
ただし、自分を主体に考えないと、あるところからは先には進めません。
自分の外に神を置いてしまい、いつまでも平面な世界に住むことになるからです。
見えない世界を否定し馬鹿にするのは、馬鹿にする本人も実はそれが何だか分かっていないのです。
人を馬鹿にするだけで終わるなら、それはそういう立場に自分を置いておきたいだけで、相手のためには何もなっておりません。
相手をそこから別の場所に移動させるための方法や、何故それが起きるか、相手の目線で答えてあげることが必用です。