今回の原発事故により、取り返しのつかない自然破壊が、こうしている間にも加速しております。
今から8年前に書いたものを読んでいて、今回の自然破壊に共通することがあると思いましたので、ブログにも転載しようと思いました。
陶芸家で環境保護の活動をされている方より、掲示板に質問があり、それにお答えする内容となっております。
怒りについて、それも神に対する怒りについてです。
長いので何回かに分けます。
2004年11月より
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10月21日の掲示板、天河窯・荒川様のご質問の件、私の思うことを書いてみようと思います。
まずは掲示板からの転載です。
ミキ様、ご無沙汰でございます、天河窯、荒川です。
かねてより疑問に思うことが在ったのですが、出来ましたら、ミキ様のお考えをお聴かせいただければ幸いです。
それは、(死して後、神なる者との闘いは可能か?)です。
ご存知のように、私は今、森、公園をぶっ壊して”環境博、自然との共生”と開き直る経済産業省やトヨタ自動車の”ペテン万博愛知”を相手に実名、現住所で闘っています。
勿論、ペテン博は来年開催され、中止など100%ないのは承知です。 が、筋論として”もう、不必要な自然破壊はやめるトキだ”は、今、主張しておかないときっと私が後悔すると思うからです。
この怒りは私が死して後もきっと続くのではないかと想います。
霊的能力、死後の世界との交信能力、未来を垣間見る能力など、何も無い私ですが、キリスト教でいうように、人間死んだら、ジ・エンド、全てナッシングでは、 ”あまりに我々の生は悲しい、否、悲しすぎる”の部分で”次の世”を信じるというより、期待をもっております。
そこでの私は神なる者に詰め寄り、彼等の怠慢をなじるでしょう、
「人間達があなた方を映した存在ならば、何故、”理想の 道”に彼等を導かぬ!!」と。
かつて私が愛読しました”高橋和巳の悲の器”の主人公、正木の如く神なるものたちを烈火の如く罵倒するでしょう。